フリータウンについて

プロフィール

柴田竹思(しばたたけし)

バックパッカー→営業職→期間工などを経たあと、フリーランスのWebデザイナーとして独立。仕事が取れず一時は廃業に追い込まれるも、プログラミングとマーケティングを身につけて”食える”フリーランスに。現在は日本&ベトナムの二拠点で生活しています。

単にカッコいいデザインのホームページを提供するのではなく、「集客できない・成果があがらない!」とお悩みの小さな会社さん向けにマーケティングからホームページ制作・運用までをトータルにサポートするサービスを提供しています。

これまでのストーリー

24歳くらいまでは音楽活動をしていて、弾き語りしながら日本一周したり、フリーターしながら友人とバンドやったりしていました。

その後、祖父母が金銭問題に巻き込まれたのをきっかけに、「お金がないと大切な人を守ることができない」という想いを強くし、お金を稼ぐことに執着するようになりました。

とはいえ、それまで音楽を理由にダラダラと生きてきただけの人間だったので、何をどうすればお金を稼げるのか分からず、数年間は悶々として過ごしていました。

世界最貧国、校庭を整備しながら独立を決意

26歳のときに、海外に行ってみようと思い立ち、父が以前仕事をしていたカナダへワーホリで1年間行くことにしました。

カナダ・カルガリーでの生活中、世界最貧国と言われる西アフリカのシエラレオネという国に興味を持ち、ビザが切れるタイミングでシエラレオネへ渡りました。

シエラレオネの首都・フリータウンで約1ヶ月の滞在。

滞在中は小学校の施設整備を手伝ったり、近所の子どもとサッカーしたり、持って行った小さなギターで弾き語りしたりして過ごしました。

大人にとってもつらい環境の中で、希望を失わず、目を輝かせて将来の夢を話してくれる子どもたち。

彼らと触れ合う中で、僕は恵まれた環境に生まれたにもかかわらず、自分の可能性を腐らせていたことに気がつきます。

「自分でビジネスをしたい」

そう思った僕は、独立することを決めたのでした。

とはいえ当時は本当に無知で、具体的にどう動けばいいのかすら全然見えていませんでした。

そのため帰国後は、「とりあえず」などと言い訳して、生活費のために就職する方へと流されていきました。

(自分で書いて思いますが、かなり適当に生きてますね…)

職を転々とする極貧時代

不動産会社の営業、映像制作会社、バーのウェイター兼シンガー、倉庫作業員など職を転々としました。

何をやっても長続きしない自分に、疑問を抱くのに時間はかかりませんでした。

そのときの月収は多いときで25万、倉庫作業員のときなんか11万くらいしかありませんでした。東京では、生きていくだけで精一杯でしたね。

親にも「そんないつまでもフリーターのような生活を続けて…」と言われるようになり、友達もチラホラと結婚する奴が出てきて、一向に軸足の定まらない自分に焦りを感じていました。

しかし実はその頃、趣味でシエラレオネのことを紹介するホームページなどをいくつか作るようになっていて、Web制作のスキルはちょっとだけ身につけていました。

「このままでは死ぬまで地べたを這いつくばることになる…」と考えた僕は、このスキルを活かして独立することを決めました。

一度目の独立は失敗。期間工生活へ…

今考えれば無謀もいいところですが、当時の僕は他に選択肢はないと思っていました。

とはいえ、たいしたスキルもなく、もちろんコネもないので仕事はまったくありませんでした。おまけにお金もありません。

必死に営業して回りましたが、ろくに仕事もとれず、ものの数ヶ月で廃業しました。そりゃそうです、僕には「選ばれる理由」がなかったわけですからね。

一文無しで地元に逃げ帰り、実家に寄生しながら自動車工場の期間工として働き始めます。

地元が愛知県なので分かる人は分かると思いますが、この辺りは自動車関連の会社がたくさんあり、期間工については子どもの頃からよく聞かされていました。

それで失礼ながら僕の中で「期間工=社会の底辺」という図式が出来上がっていて、今それになっている自分を客観視したときに、「あぁ、落ちるとこまで落ちたんだな」と絶望したのを覚えています。

またこの頃、期間工として働きつつWebデザインのオンラインスクールで一から勉強し直しました。

この期に及んでも僕は独立を諦めてなかったので、「この穴だらけのスキルを何とかしない限り、再び独立なんてできない」などと一丁前に考えていたのでした。

毎日仕事が終わるとひたすら勉強、睡眠時間は多くて4時間という生活でした。いつも寝落ちだったので、布団で寝た記憶がありません。

一応大学まで出ているのですが、今までまともに勉強した経験がなかったため、勉強の仕方から模索する日々でした。

これが人生ではじめて「努力した」と思える時期でもあります。

フリーランスとして生きられるように

期間工生活は半年間続き、その間に最低限のWeb制作スキルを身につけた僕は、貯めた資金とそのおぼつかないスキルを武器に、再び独立を果たしたのでした。

基礎から勉強し直したこともあり、一度目に独立したときに比べ、仕事がだんだんと増えていきました。

そして数か月後には、何とか自分一人食べていけるくらいの収入は得られるようになったのです。

しかし仕事をするうちに、「自分と同じような奴は掃いて捨てるほどいるぞ」という危機感を持つようになりました。

実際、受注できる案件の単価は頭打ちでした。この先さらにレベルアップしていくには、次の一手が必要なのは明らかでした。

そして案件情報を見比べたり、お世話になっていた制作会社の担当者の方にお話を伺ったりする中で、「違いを出すにはどうすればいいか?」を考えるようになります。

そして出した答えが、「プログラミング」でした。

もともと兄がプログラミングをやっていて、子どもの頃からそれを見ていたので興味はありました。

でもどこかで「頭のいい兄だからできること」と思って、やる前から諦めていました。

しかし僕がこの先に行くには、それがどうしても必要だと感じました。

今にして思えばこれが大当たりで、この時期に身につけたスキルのおかげで、今も助けられることが多々あります。

請けられる仕事の幅が広がったことで収入も上がりましたし、何より上場企業などの大規模な制作案件にも関われるようになりました。

仕事をこなしても次から次へと仕事が来るという、かつては考えられないような幸せな状況になっていきました。

2~3日徹夜は当たり前というような生活で、ひたすら制作に打ち込む日々を送りました。

この時期は複数の制作会社とパートナー契約を結び、どんどん案件を振ってもらっていたので営業活動はほとんどしていませんでした。

「フリーランスはスキルさえ身につければ、仕事が向こうからやってくるんだ」と確信し、自分のスキルを磨くことに一生懸命でした。

この頃には収入の不安もだいぶ薄くなり、ある意味もっとも制作に集中していた時期でした。

なぜかベトナムで結婚&移住

そんな感じで毎日忙しくしていたわけですが、あるときふと、あれだけ好きだった旅行をしばらくしていないことに気が付きました。

一度気になりだすともうダメで、何とかスケジュールを調整して1週間ほどベトナムへ旅行することにしました。

なぜ行き先をベトナムにしたのかよく覚えていないのですが、とりあえずホーチミンで数日ブラブラ過ごし、ちょっと飽きたのでそこから1時間半ほどで行けるブンタウという街に行くことにしました。

妻との馴れ初め的なアレは恥ずかしいので省略しますが、とくかくそこで妻と出会い、その1年半後には結婚&ベトナム移住という流れになりました。

こうして、僕は家族を持つことになったのです。

正直それまで結婚を考えたこともなかったので、家庭を持つこともイメージしたことがありませんでしたし、もちろん子どもがほしいと思ったこともありませんでした。

ところが意外なほどあっさりと妻の妊娠が発覚し、半ば強制的に父親への階段をのぼり始めることになったわけです。

人生で一番しんどかったとき

ここからが、これまで僕の人生で一番しんどかった時期のお話です。

このときのつらさに比べれば、お金がなくて水ばっかり飲んでいたことも、営業回りで虫ケラを見るような目で追い返されたことも、僕にとってはたいしたことではありません。

妻の妊娠4か月辺りから、お腹の中の子どもはおそらく腸に異常があると言われたり、羊水が少なく胎児が危険といわれたり、妻が妊娠糖尿病になりかけたりとトラブルが続きました。

夜中にトイレに起きた妻が出血し、慌てて病院に駆け込んだこともありました。
いつ何が起きるか分からないという不安から、病院の近くへ引っ越しました。

そうして何とかやり過ごす日々の中、出産予定日より1ヶ月半も早く長男が誕生しました。

予定日をだいぶ前倒ししたため2150gの未熟児で、言われていた通り、やはり腸に疾患がありました。

そのため、息子は生まれて2週間のあいだに二度の開腹手術を受け、医者には何回も「覚悟してくれ」と言われました。

おまけに妻は出産時に腎臓を傷め、他の病院で緊急手術を受け入院。
ろくに言葉の通じないベトナムで、妻子ともに予断を許さない状況です。

いろんなことがいっぺんに起こり、僕のメンタルはガンガン削られていきました。

はからずも、ノマドワーカー

妻が無事退院した後も、息子の状態は一進一退でした。

いつ病院から連絡があるとも知れず、家には帰れない。でも、やらなきゃいけない仕事は山ほどあります。

そんなこんなで、僕は病院近くのカフェを何件も回りながら仕事をするようになります。
いわゆる「ノマドワーカー」としてデビューするわけですね。

普通、ノマドワーカーになる人は「自由」とか「おしゃれ」なイメージに憧れたりして始めるのかもしれませんが、僕の場合は“必要に迫られて”でした。

カフェで仕事し、1日15分間の面会時間のために生きているような毎日でした。ほんとに四六時中、息子のことを考えていました。夜は息子を失う恐怖と闘いながら、息子のいる集中治療室の横で寝ました。

身も心もボロボロでしたが、仕事を振ってくれていたフリーランス仲間や制作会社さんに励まされたりフォローして頂いたりしながら、何とか仕事をしていました。

助けて頂いた方々には、今でも本当に感謝しています。

正直それまでは、ビジネス上の付き合いでは心を許してはいけないと勝手に思っていたところがあったのですが、このときの経験で「人と人とのつながりは、ビジネスどうのとかを超えたところにある」と考えるようになりました。

Webマーケティングとの出会い

そんな生活が4か月続き、その年の年末に晴れて息子が退院できました。

とはいえ、他の子に比べればまだ身体も弱く、油断はできない状態です。

また手術したとはいえ腸に疾患があったため、通常よりも少量のミルクを多くの回数に分けて与える必要がありました。寝る時間をまとめて取ることは、物理的に無理でした。

そのため、以前のような働き方では妻にものすごい負担をかけてしまうことになります。
またこのままでは妻だけでなく、取引先にも迷惑をかけてしまいます。

そのような事情もあり、請ける仕事を減らしつつ、時間に融通のきく収入源を模索しはじめました。

そこで目をつけたのが「アフィリエイト」です。

アフィリエイトはサイトで商品を紹介して、そこからお客さんが購入に至れば販売会社から報酬が支払われるという広告の仕組みのことです。

アフィリエイトと聞くと胡散くさいイメージを持つ人もいるかもしれませんが、実はWebマーケティングを学ぶにはアフィリエイトは恰好のフィールドです。

「興味のある人を集めて購入へと誘導する」という売る仕組み構築を実践で覚えていけますし、おまけに商材は選び放題ですので。

ということでメインのWeb制作業務のかたわら、アフィリエイトのためにいろんなサイトを運用しはじめました。

また時期を同じくして、自分と同じくフリーランスとして活動されている尊敬すべきマーケターに出会えたのも大きいです。

その方の言葉の運び方、コンテンツの組み立て方などを学ぶため、その方が過去に携わったホームページを隅々まで研究しました。

そうした経験を通して、ホームページで成果を上げるには

  • 事前に戦略を立てること
  • 手を動かす(作業する)こと

がもっとも重要だということを身体に染み込ませていったわけです。

マーケティング視点×Webデザイン力

Webデザイナーの立場から言わせてもらえば、「ホームページを作れること」と「売る仕組みを構築できること」は完全に別物です。

ホームページを作るにはソースコードを書くスキルが必要になりますが、「ソースコードを書ける=売れる仕組みを構築できる」というわけではないんですね。

売る仕組みを構築するのはマーケティングの分野、ホームページを作るのはWebデザインとかプログラミングの分野です。

家を建てるときで例えると、設計士がマーケター、大工がWebデザイナーという感じでしょうか。

設計士がいくら素晴らしい図面を作ろうと形にならなければ意味はありませんし、いくら腕のいい大工でも図面がメチャクチャならまともな家は建ちません。

「キレイでカッコいいデザインだけど売上ゼロ」というホームページはあるのは、こういう理由なんですね。

ホームページで成果を上げるには、制作前の段階でマーケティングという工程を踏む必要があるわけです。

でもだからと言って、マーケティングさえできていればデザインはショボくてもいいかと言えば、そんなことはありません。

僕の運営しているサイトでは、デザインを変えただけで収益が1.8倍に伸びたケースもあります。

つまり、マーケティング視点とデザイン視点で戦略を考えて、バランスのいいところで落としどころを見つけるというのが、ホームページ制作において大切な考え方なわけです。

小さな会社のホームページを、トータルでサポートしたい

こうしてWebデザイン→プログラミング→マーケティングと着実にスキルを身につけてきたわけですが、実はこれまで、ひとつの案件ですべてを活用することはほとんどありませんでした。

というのも僕は普段、他のマーケターやデザイナー、プログラマーなどの方々とチームを組んで仕事をしているからです。

それぞれ得意分野を持った人たちと協業することで、より品質の高いホームページを高価格で納品することができますし、同時に携われる案件数を増やすことにもつながり、結果として安定した売上を実現できるわけですね。

しかしそれと同時に、大企業に比べて資本力の小さい中小企業や個人事業主にこそ、成果の出せるホームページが必要であるということもヒシヒシと感じていました。

そんな事情もあり、小さな会社のマーケティングからホームページ制作・運用までトータルでサポートし、業績アップのお手伝いをしたいと考えるようになったわけです。

ご連絡、お待ちしてます。

僕がフリーランスとして生きていけるようになった理由。

それは、「マーケティング視点」とそれを実現できる「制作スキル」を身につけ、売る仕組みを組み込んだホームページを「運用」したからです。

このノウハウは、小さな会社のマーケティングにこそ活用できる。

僕はそう考えています。もしあなたが今、ホームページ活用でお困りなら、一度フリータウンに連絡してみてください。

相談するだけなら無料ですので、

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